プレスリリース

平成15年9月30日
独立行政法人水産総合研究センター
底生魚に見られる腫瘍状病変の原因は原生動物
-「お化けハゼ」は水質汚染とは無関係-


[要 旨]
 温帯から寒帯にかけての海底に生息するハゼ類や異体類(ヒラメ・カレイの仲間)などの魚類には、体表にできもののような腫瘍状の病変が認められることがある。本州では釣り針にかかる小型のハゼ類にも時々見られる。この病変中で増殖している「腫瘍細胞」は、魚種を問わず共通した形態を持ち、「X細胞」と呼ばれる。今回、養殖研究所病害防除部の三輪 理 病原体制御研究グループ長らは、このX細胞が魚自身の細胞ではなく、ある種の原生動物であることをつきとめ、水質汚染と直接的な因果関係はなくこの病気が真の腫瘍ではなく原生動物の寄生によるものであることを明らかにした。
 天然魚に発生する病気であるため、現在のところ対策・予防は困難であるが、本疾病も含め、魚類に寄生する原生動物が人に感染した例はない。
 なお、本研究の詳細は10月初旬に下関で開催される日本魚病学会で報告される。


本件照会先:
独立行政法人 水産総合研究センター
研究推進部 業務企画課 広報官 梅沢かがり TEL:045-788-7529
養殖研究所 企画連絡室長 中添純一 TEL:0599-66-1830
  病害防除部長 飯田貴次 TEL:0599-66-1830
  病原体制御研究グループ長 三輪 理 TEL:0596-58-6411

資 料

[背景・ねらい]
 温帯から寒帯にかけての海底に生息する魚類にはしばしば腫瘍状の病変を持つものが見られる。北太平洋に住むヒラメ・カレイ類や本州沿岸のハゼ類には、一見して腫瘍と思われる病変が体表に認められることがある。太平洋、大西洋の両洋に住むタラ類では、エラの近くにある偽鰓(ぎさい)と呼ばれる器官に、やはり腫瘍状の病変が高頻度で見られる。大西洋のカレイの仲間や、南極海のある種の底生魚では、エラに腫瘍のような病変が生じることが多い。病変部を病理組織学的に検査してみると、これらの病変中の「腫瘍細胞」は、魚種を問わず、ある共通した形態的特徴を持つ。この細胞は正体不明であるためX細胞と呼ばれ、本疾病はX-cell disease(X細胞病)とも呼ばれている。
 このX細胞の正体については、もともと水質汚染物質あるいはウイルス感染により魚の細胞が腫瘍化したものであるという説と、なんらかの原生動物であるという説があった。このうち、水質汚染については、汚染地域と疾病の発生に疫学的な相関が見られないことから、おおむね否定されている。現在では原生動物説が比較的支持を集めているが、これまでは状況証拠のみで確証がなかった。
 2001年頃から新潟県及び山形県沖の日本海で漁獲されるアカガレイに腫瘍状の病変を持つものが多く見られるようになり、(独)水産総合研究センター日本海区水産研究所及び山形県水産試験場から養殖研究所病害防除部に調査の依頼がなされた。現場から病魚を採捕し、病変部の病理組織検査を行ったところ、無数のX細胞が観察され、このアカガレイの疾病がX細胞病であることがわかった。そこで次にX細胞の正体を明らかにするための研究を行った。


[成果の内容・特徴]
 X細胞が多数存在する病変組織からDNAを抽出し、そこからこれまで知られている真核生物の遺伝子情報をもとに、リボソームRNAの遺伝子をPCRで増幅することを試みた。その結果、あるリボソームRNA遺伝子が増幅されてきた。
 次に、その遺伝子の配列を決定し、これまで知られている、ヒトやアメーバなどを含む様々な真核生物のリボソームRNA遺伝子と配列を比較した。その結果、今回得られた遺伝子は、明らかに原生動物のものであると判断されたが、同時にこれまで解析されている原生動物の多くの分類群のいずれにも属さないことが明らかになった。
 さらに、病変中のX細胞のみがこの原生動物のリボソームRNAを持ち、それ以外の細胞、すなわち宿主のアカガレイの細胞中にはこの原生動物のリボソームRNAはまったく検出されなかった。逆に、アカガレイの細胞には脊椎動物特有のリボソームRNAが検出されたが、X細胞からは脊椎動物特有のリボソームRNAは全く検出されなかった。
 以上のことから、X細胞はこれまで報告されていない原生動物であり、この腫瘍状の病変は本原生動物の寄生によるものだと考えられる。また、これまで世界中から報告されているX細胞病でみられるX細胞は、形態や微細構造がほとんど同一であることから、X細胞病はおそらくすべて本原生動物あるいは類似した種類の原生動物の寄生が原因だと思われる。


【用語説明】
・真核生物:
 ウイルスを除くすべての生物には、細胞中に核を持つ真核生物と、核構造を持たない原核生物(バクテリア及びアーキア)がある。原生動物、カビ、植物、ヒトなどはすべて真核生物である。

・原生動物:
 アメーバやゾウリムシなどの単細胞の真核生物を指す。「原生生物」とおおむね同義語として使用される。

・リボソーム:
 ウイルスを除くすべての生物は、細胞内にリボソームと呼ばれる構造を多数持っている。リボソームはタンパク質とRNA(リボ核酸)からなる複合体で、アミノ酸を遺伝子の指令どおりの順番につなぎ合わせてタンパク質を合成するという重要な役目を果たしている。リボソームは大小ふたつ(大サブユニット、小サブユニット)の構成要素からなり、それぞれがタンパク質とRNAからなる。リボソームのRNAの塩基配列は生物によって異なるが、基本的な構造はすべての生物に共通している。今回調べたのは、このうち小サブユニットを構成するRNAで、この小サブユニットRNAは生物間で系統を解析するために、しばしば配列の比較が行われる。

・リボソームRNAの遺伝子:
 リボソームRNAも細胞の核の中にある遺伝子(DNA)の情報どおりに合成される。タンパク質の場合は、遺伝子(DNA)の情報がいったんRNA(メッセンジャーRNA)に写し取られ、細胞質でメッセンジャーRNAの情報をもとにタンパク質が合成されるが、リボソームRNAは、タンパク質の鋳型になることはない。

・PCR:
 Polymerase chain reactionの略。一本鎖のDNAからは、それと相補的に結合するもう一本のDNAをポリメラーゼという酵素によって合成することができる。これを利用して目的とするDNAをネズミ算式に多量に合成する方法。